また毎年、正直なトコ「ウザイ」時期がやってきたちうわけや。
何がウザイかちうと、授業評価アンケートなんや。
最初に断っておくが、別にアンケートを「とるな」ちうつもりはあらへん。
そやけど、「なんのためにこれやっとるんか、ようわからへん」にもかかわらへんし、毎年、ある時期になると「やらねば」ちうことで授業時間がとられ、その準備に教員や事務職員の手間がとられ・・・・。
まるで、「やること自体が目的」のような授業評価アンケートのような気がして、「やったらやめろ」と言いたなるのなんや。
正直、数年前、たったひとり?せいぜい数人しか受講生のおらへん大学院生のゼミ、大学院の講義科目にまで、授業評価アンケートの実施を求められはったときには、「ええかげんにしろよ」思ったちうわけや。
また、アンケートはもともと調査方法として、受講生が一定数(例あげたろか、たとえばやなあ100人以上、せめて30人以上)おるケースには適切かもしれへんが、例あげたろか、たとえばやなあ学部生の卒論ゼミのように10人くらいしかおらへんケースなんかで「やる意味があるんか?」思ってまう。
おまけに、きちっと授業評価アンケートをとちう、その結果を例あげたろか、たとえばやなあ大学のカリキュラム改善に反映させたり、教員のFD活動に役立てたり、さらには(こないな趣旨でのアンケート利用には賛否両論あるし、わて自身も複雑な思いがあるが)教員の教育実績の評価に使うゆうのやったら、まだわてにも理解できるちうわけや。
せやけどダンさん、毎年、分厚い電話帳のようなアンケート報告書をつくるだけつくちう、ほんでおしまいちうわけや。
あの膨大なアンケート実施に向けての教員・事務職員の労力をつぎ込んで、電話帳のような報告書を1冊つくったらほんでおしまいゆうのやったら、「その労力を日々の授業改善、研究の仕事につぎ込んやほうがまし」思ってまう。
要するに、「大学としてどないな教育改革をしたいんか?」とか、「これからどないなカリキュラム改善をしたいんか?」、はてまた「どないなFD活動をしたいんか?」ちう理念も展望もへんなかで、ただ「アンケートだけとっとる」ちうんは、時間と労力と紙と予算のムダ以外の何者でもへん、思うのなんや。
こないなバカげた仕事に大学の教員・事務職員の労力を使わせへん。それも立派な大学改革や思うのやが。
何がウザイかちうと、授業評価アンケートなんや。
最初に断っておくが、別にアンケートを「とるな」ちうつもりはあらへん。
そやけど、「なんのためにこれやっとるんか、ようわからへん」にもかかわらへんし、毎年、ある時期になると「やらねば」ちうことで授業時間がとられ、その準備に教員や事務職員の手間がとられ・・・・。
まるで、「やること自体が目的」のような授業評価アンケートのような気がして、「やったらやめろ」と言いたなるのなんや。
正直、数年前、たったひとり?せいぜい数人しか受講生のおらへん大学院生のゼミ、大学院の講義科目にまで、授業評価アンケートの実施を求められはったときには、「ええかげんにしろよ」思ったちうわけや。
また、アンケートはもともと調査方法として、受講生が一定数(例あげたろか、たとえばやなあ100人以上、せめて30人以上)おるケースには適切かもしれへんが、例あげたろか、たとえばやなあ学部生の卒論ゼミのように10人くらいしかおらへんケースなんかで「やる意味があるんか?」思ってまう。
おまけに、きちっと授業評価アンケートをとちう、その結果を例あげたろか、たとえばやなあ大学のカリキュラム改善に反映させたり、教員のFD活動に役立てたり、さらには(こないな趣旨でのアンケート利用には賛否両論あるし、わて自身も複雑な思いがあるが)教員の教育実績の評価に使うゆうのやったら、まだわてにも理解できるちうわけや。
せやけどダンさん、毎年、分厚い電話帳のようなアンケート報告書をつくるだけつくちう、ほんでおしまいちうわけや。
あの膨大なアンケート実施に向けての教員・事務職員の労力をつぎ込んで、電話帳のような報告書を1冊つくったらほんでおしまいゆうのやったら、「その労力を日々の授業改善、研究の仕事につぎ込んやほうがまし」思ってまう。
要するに、「大学としてどないな教育改革をしたいんか?」とか、「これからどないなカリキュラム改善をしたいんか?」、はてまた「どないなFD活動をしたいんか?」ちう理念も展望もへんなかで、ただ「アンケートだけとっとる」ちうんは、時間と労力と紙と予算のムダ以外の何者でもへん、思うのなんや。
こないなバカげた仕事に大学の教員・事務職員の労力を使わせへん。それも立派な大学改革や思うのやが。
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by gogo0618
| 2007-12-15 21:10
| わての意見