大学改革に疲れきった教員もおる
2006年 04月 23日
こら、わてが知っとる某大学の話や。
その大学におる某教員やけど、そやけどアンタ、正直、「もう、はよ休んやほうがええんちゃう? これ以上、仕事を続けるんは限界やで」って思う人がおりますわ。
以下、仮にA氏としまっせ。
このA氏、かつては大学改革のアタマを切ちう、いろんな役職について、がんばってきましたのや。そのときのA氏の奮闘ぶりそれ自体については、批判したろおもても思いまへんし、「ホンマにごくろうさま」ちうしかおまへん。
せやけどダンさんそのA氏、今は学内での役職からはずされて、一ヒラ教員として仕事をしてるんや。
まぁ、それもエライ残念なことやけど、そやけどアンタ、わては「やむをえへんな?」思うトコもあって、一時期は「どないかして、復活のチャンスがあればなぁ」思ったりもしとったんや。
そやけど、もう、このA氏に関する情報をいろんなルートから見聞きするたび、今となっては「はやいこと、大学の教員自体、辞めたほうがええんちゃう?」「なんぼなんでも、思い切って大学をちーとの間休んやほうがええんちゃう?」って思うてまうようになったんですわ。
ちうのも、やっぱり、間接的に聞いとる情報では、この数年間の大学改革の仕事を熱心にやりすぎたせいか、心身ともにつかれきってて、A氏は授業に出てくんのもやっと、ちう様子が伺えるらしいのや。
「そないにカラダもココロもつらいやったら、せめて半年、できれば1年間、Aはん仕事休んやら?」「あんたの担当科目、1年くらい代打でやってくれる教員、おるやろ?」と言いたなるんやけど・・・・。
ほんで、そないなA氏の疲れきった様子を見てて、学生たちが動揺してんらしいや。
その話を聞いてて思うのやけど、「この先生、先々倒れるんちゃうか・・・・」と思てながら日々のゼミ指導やらなんやらを受けとる、その学生にしてみても、A氏が心身ともに疲れてきっとる状態ちう、ようおまへん。
ほんで、その疲れきったA氏が何ぞあるたび、学生を前に感情的に不安定になってみたり、せやなかったら、「わしは早いことサバティカル(研究休暇)に出る」ちうようなことを口走ったりなんかすると、余計に学生たちは不安に感じるでっしゃろ。
おまけに、こないにしんどい状態どるやったらば、ワイが思うには学内の諸会議にも出られへんやろしし、その分、情報や認識の共有にズレができるさかい、まわりの教職員との関係もギクシャクしてくるんちゃうでっしゃろか。
ほんで、一時は脇で見てて、「この大学をやまと一にしたいんや」やらなんやらと豪語しとったA氏の姿を知っとると、わてが間接的に聴く今のA氏の姿はホンマ、やつれはて、落ちぶれたなあっていう印象を持ってしまいまんねん。
そないな、ある意味で「みじめ」な状態になっても、このまんま仕事を続けさせとるのがええんかどうか。ご本人も、そこまで疲れきっとるにもかかわらへんし、相変わらず授業やゼミやらなんやらを抱え込んどる、ほんでええんかどうか。ほんで、A氏自身が「休みたい」と率直にオノレの実情をまわりにつたえ、周囲の教職員や学生の理解を得て休まへんでええんかどうか。もっともっともっともっともっともっともっともっともっというと、これからこの大学で仕事を続けるだけの気力・体力が残っとるんかどうか・・・・。
そないなことが、どないしたかて脇でA氏の話を聞いとると、気になってきまんな。
ほんで、教員をこないな状態に追い込むような、そないな大学改革のあり方がホンマにええんかどうか。結果的に、大学にとってマイナスにしかいなってへんんちゃうか思えてくるわけや。
その大学におる某教員やけど、そやけどアンタ、正直、「もう、はよ休んやほうがええんちゃう? これ以上、仕事を続けるんは限界やで」って思う人がおりますわ。
以下、仮にA氏としまっせ。
このA氏、かつては大学改革のアタマを切ちう、いろんな役職について、がんばってきましたのや。そのときのA氏の奮闘ぶりそれ自体については、批判したろおもても思いまへんし、「ホンマにごくろうさま」ちうしかおまへん。
せやけどダンさんそのA氏、今は学内での役職からはずされて、一ヒラ教員として仕事をしてるんや。
まぁ、それもエライ残念なことやけど、そやけどアンタ、わては「やむをえへんな?」思うトコもあって、一時期は「どないかして、復活のチャンスがあればなぁ」思ったりもしとったんや。
そやけど、もう、このA氏に関する情報をいろんなルートから見聞きするたび、今となっては「はやいこと、大学の教員自体、辞めたほうがええんちゃう?」「なんぼなんでも、思い切って大学をちーとの間休んやほうがええんちゃう?」って思うてまうようになったんですわ。
ちうのも、やっぱり、間接的に聞いとる情報では、この数年間の大学改革の仕事を熱心にやりすぎたせいか、心身ともにつかれきってて、A氏は授業に出てくんのもやっと、ちう様子が伺えるらしいのや。
「そないにカラダもココロもつらいやったら、せめて半年、できれば1年間、Aはん仕事休んやら?」「あんたの担当科目、1年くらい代打でやってくれる教員、おるやろ?」と言いたなるんやけど・・・・。
ほんで、そないなA氏の疲れきった様子を見てて、学生たちが動揺してんらしいや。
その話を聞いてて思うのやけど、「この先生、先々倒れるんちゃうか・・・・」と思てながら日々のゼミ指導やらなんやらを受けとる、その学生にしてみても、A氏が心身ともに疲れてきっとる状態ちう、ようおまへん。
ほんで、その疲れきったA氏が何ぞあるたび、学生を前に感情的に不安定になってみたり、せやなかったら、「わしは早いことサバティカル(研究休暇)に出る」ちうようなことを口走ったりなんかすると、余計に学生たちは不安に感じるでっしゃろ。
おまけに、こないにしんどい状態どるやったらば、ワイが思うには学内の諸会議にも出られへんやろしし、その分、情報や認識の共有にズレができるさかい、まわりの教職員との関係もギクシャクしてくるんちゃうでっしゃろか。
ほんで、一時は脇で見てて、「この大学をやまと一にしたいんや」やらなんやらと豪語しとったA氏の姿を知っとると、わてが間接的に聴く今のA氏の姿はホンマ、やつれはて、落ちぶれたなあっていう印象を持ってしまいまんねん。
そないな、ある意味で「みじめ」な状態になっても、このまんま仕事を続けさせとるのがええんかどうか。ご本人も、そこまで疲れきっとるにもかかわらへんし、相変わらず授業やゼミやらなんやらを抱え込んどる、ほんでええんかどうか。ほんで、A氏自身が「休みたい」と率直にオノレの実情をまわりにつたえ、周囲の教職員や学生の理解を得て休まへんでええんかどうか。もっともっともっともっともっともっともっともっともっというと、これからこの大学で仕事を続けるだけの気力・体力が残っとるんかどうか・・・・。
そないなことが、どないしたかて脇でA氏の話を聞いとると、気になってきまんな。
ほんで、教員をこないな状態に追い込むような、そないな大学改革のあり方がホンマにええんかどうか。結果的に、大学にとってマイナスにしかいなってへんんちゃうか思えてくるわけや。
by gogo0618
| 2006-04-23 10:48
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