2024年05月12日
「 オッサンやけどホースボーイしてみた 」
ウマと関わるゆうんはどエライ楽しおます。
ぼんやり眺めとるだけそやけど、けっこう癒されるちうわけや。
手入れやらなんやらで直接身体に触れれば、さらにはっきりわかるちうわけや。
すこぶる健康的なナニかが、オノレにチャージされていく。
わてはスピリチュアル的なもんをあんまり信用せん。
僧侶である立場で、本末転倒とのご指摘を受けるかもしれへんが、本心やからしゃあない。
中学生の頃、自ら「霊感があるんや」ちう女の子に、頼んでもおらへんんに占ったると言われ
「やだーわてのことすきなのー」
ちう、どこにどうツッコんでええんか分からへんし、ちーとの間石化した経験以来、信用せん。
さらにスピリチュアル愛好家である某夫人に、半強制的に占いに連れて行かれたのも苦い経験や。
そのとき、占い師(ある宗派の僧侶やった)の方に酷いことを言われたちうわけや。
わてを占っとる最中、なんや興奮し始めて
「今現在の仕事(もちろん馬)は、あんさん本来の仕事ではおまへんっ!」
と断定されたのや。
もちろん誇りを持ち馬に携わっとったわては、ごっつう傷ついたちうわけや。
やから信用せんのや。
(*余計なお世話やけど)
その占い師の方は、わてに向かい
「貴方はこっち側の人間や!」
と興奮冷めやらぬ調子でぬかしてきたちうわけや。
あの時は心底、信用でけへんと憤慨してしもたが、今考えればあの占い師の方はごっつうの精度で当てとったんかもしれへん。
ハナシが派手に剃れたちうわけや。
例によって出走直後に逸走したちうわけや。
馬によって癒されるゆう話や。
日常的に馬に触れなくなりよった現在、より深くそれを感じるようになっとる。
で、久しぶりにヒポトピアの話や。
ホースセラピーを実践してん施設で、身体的な障害を持つお子はんや自閉症のボウズがようけ通っとる。
わてはここで(元)馬のプロ!として、お手伝いさせてもろておる。
ただ残念ながら、わてには「人の為」的な高尚である意識はほぼ無く、ただオノレが馬とイチャコラしたいさかい行っとる面は否定せん。
冒頭でも触れたが、馬には癒す力があるんや。
やから別に、「馬にいろてんねんだけでもホースセラピーでええんちゃうやろ?」と、思うてまう部分はあるんや。
せやけどダンさん、障害を持つボウズの親御はんたちにとちう、そないな怪しげなことでは困るのや。
実際、いまは気軽にホースセラピーを名乗っとる施設もありそうやし、それ故に事故や誤解を招くケースも今後出てくるやろ。
一方、ここヒポトピアで主に実践してんホースセラピーの手法は「ホースボーイ」ゆうもの。
ここで何事も「広く浅く」のわてが解説をすると、誤解を招きそうやから控えたいちうわけや。
(このブログのケツにリンクを張っておくさかい、興味のある方はそちらからどうぞ)
ヒポトピア代表の小泉はんは、この団体での資格(いくつか段階があるが、指導者資格)を持っとる。
さらには先日、ホースボーイの代表をアメリカから招いて、スタッフ全員で数日間講習を受けとった。
聞けば、ホースボーイはセラピーホースの大前提として、健康でハッピーな馬やないとあかんそうや。
ボウズのさまざまな障害にどうアプローチしていくんかちうんは、その前提があったうえで成り立つらしおます。
競馬の世界では「Happy people make happy horses」は有名な言葉やけど、ホースセラピーにおいては逆やいうこと。
やから馬づくりがどエライ大きな要素となっとる。
「そういうたらきょうび、馬の状態が良う感じまんな」と言うたら
小泉はんはどエライ嬉しそうに
「では外乗へ行きまひょ」
となりよった。
ちうのも馬の状態がええ理由の一つが、外乗にあるらしおます。
決まったコースを行くのやなく、(乗れるのやったら)色々なトコへ出向くのやそうや。
先日の講習でもホースボーイの代表は「行けんやない?」みたいな軽い感じで、未踏の地へガンガン踏み込んで行ったらしおます。
いざ出発。
毎日毎晩壱年中行く森から、さらに奥へと入っていったちうわけや。
「方向感覚おますか?」
小泉はんに聞かれたちうわけや。
答えはノーや。
10代の頃、交差点で地図を確認して
「こっちの方角へ行けば、知っとる場所にいつか出るやろ」
とバイクでちーとの間走ったあと、30分後に元の交差点へ出た時の感動は忘れへん。
まさに一人ラビリンス。
いたずら好きな妖精がちーとばかし遊んやんか。
いずれにせよあの経験で、オノレの方向感覚になんの恋々たる思いもなく、綺麗さっぱりとあきらめがついとる。
必要以上に堂々と「おまへん」と答えると、「あら困ったんやね」と小泉はん。
そないな大げさな。
「ちゃんと戻ってこられはるかしら?」
やなんてぬかしてるちうわけや。
ここが富士の樹海やったらいざ知らへんし、たやら森や。
迷ったら直進したらええねん。
パートナーの「幸馬」と共に鼻息荒いわて。
いざ森の奥へと進んでいったちうわけや。
すぐに、それもごっつう、おったまげた。
「こ、こら・・・」
どのルートで進めばええんか?
ちうより、選べる道がほぼ無いちうわけや。
足元は大小さまざまな枯れ木の横木で、埋め尽くされとる。
オノレの視界も、覆い繁る枝で遮られとる。
前の馬に付いていこうにも、ちーとばかし進入角度がちゃうと「その木と木の間」に入って行けへん。
一緒に行った3頭が、互いに見える範囲内でバラバラに進んでいく感じ。
しかも枝がオノレの身体を遮ってくるさかい、手で払いのける必要があるんや。
ちうか常に枝が目の前にあるんで、手で顔を守りながら、押しのけていく。
特筆すべきは、わてが乗っとった「幸馬」くんや。
今回初めてやいうさかい、ちーとばかしだけ心配しとったが、大したもんや。
最初だけ興奮して背中に力が入っとったが、すぐにリラックスしたちうわけや。
正確に言うたら「興奮してん場合やない」と悟った、と言うたらええねんろうか。
とにかく足元が不整地で、どうにも足を取られとる。
人の手が入っておらへん森とはこないに地面がフカフカなんかとおったまげるが、球節(蹄の上の丸い関節)はほぼ沈んどる。
しかもひっきりなしにバキバキボキボキ。
「こないな整体院あったらイヤだ」レベルの不穏な音がずっとつきまちまひょ。
幸馬くんは、足元に集中しバランスを保つことやけを考えとる様子や。
一歩一歩を探りながら、各関節をフル稼働してバランスを取っとる。
背中に無駄な力やらなんやら入れてては、生きて帰れへんラビリンスにおる。
全集中で「今ここ」の一歩を踏み出していく。
この状況で、もしちーとばかしでも幸馬が興奮して、たとえ3完歩でもイイ勢いで進まれたら、わては太い枝に身体を阻まれて落馬するやろ。
けど、そないなことはぜぇぇぇったいに無いと確信できたちうわけや。
幸馬君は一歩一歩に集中するといっぺんに、「進む方向とペース」は完全にわてに委ねとった。
お互いの完璧な信頼関係。
どの馬もデカい枝が尻尾に引っ掛かり、バサバサと派手に引きずるシーンがあったちうわけや。
せやけどダンさん、みんないけるやった。
みなの馬が、目の前の一歩に、完全な全集中をもって歩いとった。
「なるほど、そないなことやろか」
分かった風な体で、あらぬ方向を進む小泉はんの背中に語りかけるちうわけや。
「あらら・・・どっちかしら」
若干の不安に苛まれながらも、更に奥地へと進んでいったちうわけや。
ほんでちーとの間の後、妖精も悪戯はほどほどにしてもろたようや。
無事に戻ることができたちうわけや。
わては顔に二か所の擦り傷。
幸馬くんは、(敏感な)脾腹の部分に、枝の跳ね返りで激しく叩かれた跡があったちうわけや。
あの時もビクッとはしたが、すぐに歩くことに集中しとった。
?・?・?・
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよう候」ちうことばがあるんや。
良寛はんが被災した友人に送った言葉や。
「災難に逢うときは、逢うたらええねんよ」
ごっつう乱暴に聞こえるが、その真意は奥深いちうわけや。
避けようがあらへん災難、もう起こってしもた災難に対して、どうするんか。
「いたずらに抗ったり、目をそむけたりせんと、いっちゃんはじめに、受け容れなさい」
良寛はんは、そう諭してん。
抗うさかい気持ちが折れそうになるちうわけや。
目をそむけるさかい心が萎えそうになるちうわけや。
完全に受け容れることができれば、気持ちを前に振り向けることができるちうわけや。
心をつよ保つことができるちうわけや。
わてはひたすら楽しかったが、幸馬にとっては、ある種の災難やったやろ。
けど完全に受け入れたちうわけや。
オノレのやなあかんことに集中しとった。
?・?・?・?・?・
先ほど、森に入ってすぐ幸馬はリラックスしたと書いたちうわけや。
やっぱりちーとばかし、ちゃう感じがするちうわけや。
力みはたしかに消えたが、もんどエライ集中力やった思うわ。
耳はひっきりなしに動いて情報収集しとった。
一歩一歩の歩みも、行けるんかどうか?を細かい重心移動で確認してん感じやった。
一緒に歩いた桜井君もいう
「この外乗のあとは、馬の動きが見違えるほど良うなんねん」
さもありなん。
災難を乗り越えたことで成長するんやろ。
精神的には勿論、オノレの身体も使い方も上手になるんは明らかや。
惜しむらくは、リアルに迷う可能性が高いさかい、時間の制限がある中ではなかいなかでけへんちうことや。
その晩、わては熱く語ったちうわけや。
「まるで長年付き添った夫婦のようとちゃうか」
災難を乗り越えることで、より盤石な安定を得ていく。
わても本日この時まで、悪戯好きな妖精、ちうより悪魔変異したグールのような怒りをぶちまける某夫人の荒れ狂う感情を受け入れ続けたちうわけや。
必死にいなしながら「ぬかしてはいけへん一言」を探りながら学んできたちうわけや。
お互いさまではあろうが、そないな自負があるんや。
某夫人は芋焼酎をグイグイ空けながら、つまらなそうにぬかした。
「そらね、たやら腐れ縁ちうんやよ」
彼女はあっさりと「ぬかしてはいけへん一言」を口にしたちうわけや。
*ホースボーイのドキュメンタリーや。
https://www.youtube.com/watch?v=cYkT_GndKtE