このページは大阪弁化フィルタによって翻訳生成されたんですわ。

翻訳前ページへ


2011年05月 : 外から見るやまと、見られはるやまと人

外から見るやまと、見られはるやまと人

バンクーバーのやまと人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、やまと人観やらなんやらを綴っとりまんねん。

2011年05月

GMの車はやまとで売れるか?4

GMがやまとへの戦略を再開するとのニュースがおました。アメ車というたらデカイ、燃費は食うわ、壊れやすいやらなんやらのイメージを持ち続けとるか思うで。わいは北米に住んどるのでアメ車にはさまざまな形で縁がおますが、確かに下取り価格やカスタマーサティスファクションではやまとの車の後塵を拝してんとは思とります。

が、なんぼなんでもうちらの常識が1980年代とか90年代のほんであったとしたら、そろそろ見方を変えのうてはいけへんかもしれしまへん。なんぼなんでもデカイ、燃費が悪い、壊れやすいについては相当の改善が進んでおりますわ。一方、価格が極めて下がっとることに注目すべきや。やまとでのドイツ車は根強い人気に裏打ちされて高い価格設定になっとりまんねん。(価格設定は販売国への市場戦略によりマークアップがちゃいます。やまとへはその点、強気価格、ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は、高くなっとりまんねん。)が、アメ車は安めの設定や。

アメリカ国内でも販売価格を見るとある意味、ひと世代前価格か思わせる水準で落ち着いとりまんねん。その上、安いドルちう武器を持ったとしたらアメ車の輸出ドライブがかかってもおかしくおまへん。

実際、車の世界販売台数では2010年でトヨタがGMに僅か3万台の差で一位を維持したもんの2011年度の逆転はほぼ確実か思うで。そら震災で販売台数に陰りがあるトヨタに対してGMは新興国、特に中国、ブラジルでの販売の伸びが顕著なんやし、アメリカ国内の伸びも含め、年間トータルでは相当の差をつける思われるさかいや。

さて、そのGMのやまと再戦略車は韓国産SUV「キャプティバ」。目玉は価格。357万円はやまと販売のGM車では最廉価。更に今年後半には2000cc以下の「アベオ」も投入するゆうことやから当然、更に安い価格で登場するっちうことでっしゃろ。

売れるかどうかはやまとでのマーケティング次第。そらブランディングともいえまんねん。やまとでGMと言うたらキャディラックがそのイメージ。キャディラックのイメージはヤンキー、悪、傲慢といった感じでっしゃろ。実際、キャディラックCTSのコマーシャルはそのイメージを地でいったわけでわいは思わず笑ってしもたんや。余計なお世話やけどキャディラックの北米の購入層はイメージとは裏腹でハーレーダビッドソンと同じ「オッサン」であり若返りに必死ちうトコロでしょうわ。

なんでやろかわいもよーしらんがアメ車はやまとでのマーケティングが下手や。トヨタ、日産、ホンダちう「つわもん」がおる市場では勝てんと思い込んどるようや。実は同じことが韓国車。そやけど、やまとで韓国のもんやなんて、と端から諦めてては間違えや。今年スマートフォンでいっちゃんヒットした商品の一つにドコモ経由で発売したサムソンギャラクシーS。要は牙城を築くことが出来ればアメ車がやまとの市場に入り込む余地は十分におます。

わいはやまとの大手自動車メーカーがアメ車をほとんどライバル視しておらへん今、脇が甘いと指摘しておきまんねん。円高は続きまんねん。アメ車の価格は安くなるんですわ。そのとき、やまと車が品質ちう胡坐をかいとったら瞬く間に市場を奪われる可能性がおます。まさか思うでっしゃろけどわいはあえて今の段階で指摘しておきまんねん。

とぬかすことで今日はこのぐらいで。

ブログの応援もお願いできまっしゃろか?クリックをするとブログランクアップに繋がるんや。
人気ブログランキングへ
ではまた明日。

米ドルの時代は終わるんか?4

わいは仕事の一環で資金運用も行っており、一部資金は投資に振り向けとります。もちろん自己資金でもそれなりの投資を行っとります。その中で、実を申し上げまんねんとこの2年以上ポートフォリオの30%以上を金関連に振り向けておったんや。金が上昇する中でのスウィングトレードやからリスクが小さく利益確定を繰り返しながら売買を繰り返しとりまんねん。

何故金に固執したか?常識的にみて米ドルの価値は維持でけへんと考えとるからや。米国政府は米ドルの価値を維持するっちうことが基軸通貨としての役割やと考えとりまんねん。一方で通貨流通量が異常に膨らみその価値は何を持ってヘッジされとるんかと考えると、アメリカちう国しかんゆうことにどなたはんでも気がつく思うで。

話を分かりやすくしまひょ。皆はんやまとの銀行の経営基盤が揺らいやとき、銀行は何をしたか覚えとりますか?そうわ、増資をしましたわ。増資とは発行株数を増やすことやから本日この時まで持っとったあんさんの株の価値が薄まるゆうことや。例あげたろか、たとえばやなあ総発行株数が増資により2割増えたとしまひょ。全体数が増えたちうワケやからあんさんの持分(シェア)は下がるんや。持分が下がるゆうことはあんさんの銀行から貰う配当金も約17%減るし、株価も17%下がるちうワケや。

アメリカは2009年からどんだけの通貨を発行したんやか?ほんで、この場合のアメリカとは連邦準備銀行なんやし、この銀行はアメリカ政府とまるっきし資本関係があらへんんは知ってはりまっか。そうわ、アメリカ政府は一株も持っておらへんし、大手銀行やらなんやらがその株主といわれとりまんねん。ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は、極論したら民間が勝手になんぼでもお札を印刷できる仕組みなんやこれがホンマに。

わいはこの流れを見てなして米ドルが常に一定の価値を維持できるか毎日毎晩壱年中考えておったんや。結論は政治的コントロール。ほんで、世界での「ドル需要」を増やすことに専念したちうワケや。やからドル潰しの話が出るとじぇったいしっぺ返しがくるようになっとりまんねん。そこはアメリカの強い政治力が裏で働いとりまんねん。

が、こないな事、長く続く思っとる専門家はあんまりおらへんやろ。5月28日に内閣府発表の世界経済の現状と見通しを分析した「世界経済の潮流2011年」ではドルを基軸通貨とする国際金融システムも、徐々に変質する可能性があると述べとりまんねん。

中国やロシアやらなんやらはよりどエライ昔から代替基軸通貨案としてSDRちう通貨バスケット方式を主張してるんや。実際、IMFではこれをよりどエライ昔から使用してるんやが、なんちうか、ようみなはんいわはるとこの通貨やおまへん。が、考え方としてはいろいろな国の通貨を一つのポットに入れてかき混ぜて一つの新しい通貨を作りまひょ、ちう発想や。きょうびはフランスのサルコジはんも興味を示してんとか。アメリカは猛反対や。

もちろんすんなりと決まるとは思えしまへんが、貿易決済でドルから他通貨決済に換わればドルの価値の需要が減り、価値の下落に繋がるんや。やまとでも今や貿易決済は円建てがじわじわ伸びてきとるのや。一概に円高反対といえへん状態やね。

では、うちらは下落するかもしれへんドルを指をくわえて見とるしかいないでっしゃろか?わいが金を買った理由はそこにおます。金がリスクヘッジとして高い需要を創造するんは歴史が物語っとりまんねん。通貨としての価値がな主張してん専門家はある部分を見落としてるんや。そら取引所を通じた擬似通貨であるちうことや。

結論的には米ドルが下がれば金は上らざるをえなくなるんですわ。なんぼなんでも過去2年はその判断が正しかったようやし、今後についてもその変身の兆しは今のトコ見受けられへんちうのがわいの見方や。

ご意見おましたら宜しくお願いしまっせ。

ブログの応援もお願いできまっしゃろか?クリックをするとブログランクアップに繋がるんや。
人気ブログランキングへ

ではまた明日。

震災はやまとを変えるか?4

今夏の節電を通じて人々の生活に変身が出てきましたのや。

自動車業界は土日稼動、木金休みとなるんですわ。これで60万人の就労者とその家族あわせた200万人の生活パタンが変わるんや。他の企業、ドコモの東電管内は月、火、やまとガイシが火、水、日立も平日休日の方向や。

宇都宮市はサマータイムを導入、電力消費の多い企業は夜勤体制を敷き、使用する電力の24時間均等化を目指しまっせ。

当然それだけの企業が生活パタンを変えればそれに関連するビジネスも営業時間を変える必要が出てきまんねん。平日のゴルフ、レジャー、早朝の朝食サービス、電車、バスの早朝運行、朝7時からの居酒屋ちうのもありかもしれしまへん。

考えてみればやまとはレジャー白書で休暇が何処の会社もいっぺん期になり、高うて混雑してんことが常態化しとったんや。欧米ではフランスやらなんやら一部の国を除きバケーションの取り方はさまざま。ボウズの学校の休みにあわせて休暇をとるファミリー層に対してアダルトオリエンテッドファミリー(ボウズのおらへん家族)は意図的にその時期を外して休暇を取るんや。これにより休暇取得時期が平準化され経済的にさまざまなメリットが生じとりまんねん。

ムカシからのやまとでは先駆者がおらへんし、何ぞ新しいことをするモチベーションが足らへんし、いろいろな案が出ても毎日毎晩壱年中議論だけで終わっとったんや。が、今回はやらのうてはいけへん、さもないとペナルティーがくるゆう状況や。ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は、国が「変わってくれ」と懇願してんようなもんや。こないな風なことはきょうびの歴史ではあんまり記憶におまへん。

震災は衝撃的やったがうちらは復興ちう道を確実に歩んでおりますわ。が、物理的な復興と共にうちらやまと人の改革にも挑戦するっちうときが攻めて来よったようや。極端な話、本日この時までやろうとして出来へんかった改革が今やったら出来よるかもしれしまへん。そないな時にうちらは立っとりまんねん。

日にちを改めて書かせてもらいまっせが、どうも政治も変わる気配が出てきましたのや。なんぼなんでもそないな動きがあるちうことは今年の夏にかけてやまとは地殻変身を起すときでもおます。新しい生活パタンを通じて何ぞ新しいもんが見つかるのやったら、企業の節電期間と称する9月まででなく、継続的な変身も考えてみる必要があるでっしゃろ。

高速道路の混み具合も変わるかもしれしまへん。ビジネスが週5日から週7日に変わると休みの日もムカシからの土日から一週間を通じて平準化され、旅館、レジャー等への消費が増えるかもしれしまへん。

考えてみれば日曜日休むんはキリスト教、ユダヤは金曜日やった。が、仏教には指定された安息日は無かった思うで。とするやろ、ほしたらやまと人ほど高いフレキシビリティをもった人種はいまへん。いまこそ、新たなるチャレンジをするには絶好のチャンスや思いまへんか?

苦しいときやからこそ、新しいことをしたなる、そないな感じがしまへんか?

ちうことで今日はこのぐらいで。

ブログの応援をお願いできまっしゃろか?クリックをするとブログランクアップに繋がるんや。
人気ブログランキングへ

ではまた明日。

情報を切断化する4

情報過多の現代社会と言われとりまんねん。

あんさんはE−mailを一日どれぐらい貰おるんか、ちう質問で100件以上ちう人はサラリーマンの方を中心にごっつう多い思うで。が、実際に内容あるメールが100件も来よるとそれと同等のメールを返信してん可能性もあるわけでオノレがメールにコントロールされることになりかねしまへん。また、メールは往々にしてどエライ細かい内容の確認とか社内一斉メールも含まれとりまんねん。あんさんは情報ソースから外出先まで追いかけられはることを良しとするか、ちうのが今日のテーマや。

一般の人がファミコン...おっとちゃうわ、パソコンでインターネットの世界を知りよったんはわずか15年前。それまでは情報とはテレビ、新聞、雑誌、本が主流やった。印刷物に限ってぬかすと新聞は朝刊と夕刊。ほんで、夕刊は案外シカトされそうやけど、そやけどアンタ、その日の午前中に起きたニュースを手はよまとめとるちう点で重宝な情報源やった。

雑誌、特に週刊誌、月刊誌の類は新聞で書ききられへんかった詳報や追跡記事をカバーする役割やった。なんでやったら、新聞は紙面の限界と時間的限界、記事のヒイキ度やらなんやらがあり必ずしも皆はんが興味ある記事の詳報がでけしまへん。雑誌以上に勉強したい人は本を読む、ちうのがうちら若いときに慣れ親しんだ情報とのお付き合いの仕方やった。

今、情報が皆はんを追いかけまんねん。スマートフォンになり、まさにあんさんの第二の頭脳として持ち歩く時代になったんですわ。せやけどダンさんわいは今だこの流れに抵抗してるんや。外出するっちうときは携帯こそ持つんやけどメールはせん、ネットもチェックしまへん。そら情報依存症にやったらへんし、オノレの思考の時間と外出先で会う人との時間にエネルギーを100%注ぎたいさかいなんやこれがホンマに。

皆はんも食事やミーティングの際、携帯にメールや電話が入ってくることはしばしばある思うで。本人にとってはよほど重要なこっちゃ思うんやが、その間、待たされとる相手の方にとっては必ずしも気持ちよいわけやおまへん。飲食中のメールやらなんやらは大体奥はんから「あんさん今日は何時に帰ってくるの?」ぐらいのレベルが多いんとちゃうでっしゃろか?それに気を取られはるのがちーとばかし失礼かいな、思っとりまんねん。

ではネット。ヒマやったらネットをしたなる気持ちは分かるんや。が、情報と追いかけごっこをしたかて「微にいり細にいり」なんやし、本質を見失いやすくなるんですわ。昔、情報は朝刊と夕刊だけやった。ネットを一日もやらんとテレビ、新聞だけの情報で生活してみてもよろしいか思うで。多分、無いと困る、と100%の方が言おるんやけど、そら禁酒、禁煙と同じようなもんであることが当たり前になっとるだけや。

わいは「禁ネット」の効用とは情報に基づいてオノレの頭で考える癖が出来よるのでは、思うのや。ある事件がおきたらその事件がどう展開するんか想像し、人と会話して推理するかもしれしまへん。その後、思わぬ展開になりよったらなるほど思うでっしゃろ。が、ネットを毎日毎晩壱年中見続けるとまず思考回路を使うことがなくなってまうのや。

欲しい情報がみなネットを通じて引っ張り出せるのやとしたらボウズがお菓子を欲しがりそれが毎日毎晩壱年中戸棚や冷蔵庫に満載しておくのと同じ状態なんやこれがホンマに。

情報をあえて断片化させ、その断片を繋ぎ合わせ、次の情報を考えることで人間本来の思考回路を効果的に活用するっちうことが出来よるんかもしれしまへん。とするやろ、ほしたら、スマートフォンの普及に恐ろしいもんを感じるんはわいだけでっしゃろか?スマートフォンも使い方、ちうことやろね。

ご意見お待ちしとりまんねん。

ブログを応援いただけまっしゃろか?クリックをするとブログのランクアップに繋がるんや。
人気ブログランキングへ

ではまた明日。

政治不信の原点

昔から言われ続けた「経済一流、政治三流」。何年経っても政治が一流にならへん理由は政治家の体質にも問題があるし、政党運営にも問題があるし、政治家がどなたはんに向かって仕事をしてんかもわからへんやらなんやらその理由も過去何十年、まるっきし変わっておらへんような気がしまっせ。

これでは民主党でも自民党でも同じことやちう結論やけど、そやけどアンタ、ではその不信の原点は何処にあるかちうと「わかりにくさ」とちゃうか思うのや。

政治家は国民に選ばれ、国民を代表して国を治める一方、国民や支持者意見を吸い上げ、決定したことを国民にわかりやすくフィードバックする義務も負っとりまんねん。が、大半の政治家は吸い上げるだけ吸い上げ、決定されたピクチャーをわかりやすく国民に説明、理解させることに欠落してるんや。何故でっしゃろ。

早稲田大学雄弁会(弁論部)ちうんは政治家の登竜門といわれとりまんねん。が同大学の弁論部に代表されるように弁論とはディベートを目的とするもんなんやし、主義主張をいかに通すかがそのお題目となっとりまんねん。そら政党政治におけるバトルには向いとる思うんやが、今、政治不信になっとる本質的問題は国民が政治を理解しておらへんちうことに他ならしまへん。

ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は、政治家は他の政治家と論争をするっちうことには長けてても国民目線で今、政治の世界で何が起き、どないな決定がなされるかちうことを十分に説明するっちうことがでけへんのや。

このトコ話題になっとる原発の海水注入中断事件の真相は「中断していへんかった」ちう東野圭吾の小説並みのどんでん返しやった。が、その過程で原子力安全委員会委員長の班目春樹氏の「言うた、言わへん騒動」。挙句の果てに班目春樹氏は「そないな表現は学者が良う使うもんだ」と言い切ったんには個人的に唖然としてしもてたんや。

官房長官の仕事の一つに政府コメントをパブリックにわかりやすく流すことがおます。ここに来て枝野官房長官の発言もブレが生じとりまんねん。ほんで、先日の銀行債務免除の件もさいですが、パズルを解くような発言すら見受けられはります。結局そこにあるんは調整を十分にしておらへん状態で発表してまう、せやなかったらわかりにくい表現、言葉のあややらなんやらで国民を引っ掛けとるんとちゃうかとも思えてまうことがおます。

先ほどの班目春樹氏のバトルの中で「再臨界の可能性」と「再臨界の危険性」の違いがよう分かっておらへんと細野豪志首相補佐官に指摘したとええまっけど、この意味、国民の何%の人がきちんと理解できる思うでか?

これぞホンマの「へぼ談義」でありやまとの政治が不信になる原因とちゃうでっしゃろか?

更にこれに輪をかけたようにメディアが詳報をどんどん流しまっせ。結論のトコ、国民は全体像がさらさら見えなくなっとりまんねん。今、原発問題で政府が何をしたろおもておるんか400字以内でまとめよ、とか、3分以内で簡潔に述べよと言われて十分な回答が出来よる人はどれぐらええるでっしゃろか?

国民は十分な理解をした上でそれについて意見を述べる権利がおます。が、政治家は毎日毎晩壱年中話を煙に巻くようなわかりづらさでいつの間にか事案が成立しとったちうことはまんまおます。

やまとが政治不信から立ち直りたいのやったらまずはわかりやすくきちんとコミュニケートする能力をずぅぇえええぇぇええんぶの政治家が持ち、政治のシステムとして国民との「対話」が出来よる形にすべきや。今、やまとの民間会社のトップは社員と昼食を共にしたり、居酒屋で杯を傾けながら対話に励んでおりますわ。一昨日、オバマ御夫妻はアイルランドのパブで現地のヤカラと黒ビールを飲みながら談笑しとったんや。

政治家はもっともっともっともっともっともっともっともっともっと国民目線まで降りてくなあかんのです。ほんでダイアローグ(対話)をすべきや。決してディベート(討議)ではおまへん、その勘違いにはよ気がついてもらいたい思うで。

ちうことで今日はこのぐらいで。

ブログの応援、お願いできまっしゃろか?毎日ワンクリックでブログランクアップに繋がるんや。よろしゅうお願いしまっせ。人気ブログランキングへ

ではまた明日。

あぁ人件費4

ある週末の夕方、わいの経営するカフェの水道の調子が悪うなり水が止まらへん状態に陥ったんや。どうやらいっぺんに二箇所でトラブルが発生したようや。水が止まらへん状態やから流しっぱなしにするわけにもいかず修理業者を呼んだんや。が、今から行く、と連絡貰って2時間後に現れた業者からは酒の臭いがプンプン。専門の道具で修理はわずか15分か20分。その請求書はやまと円で約4万円。人件費として移動費込みで2時間半の請求。これ、毎日毎晩壱年中頼んどる当地の大手業者や。

北米でDo it yourselfちう言葉がよりどエライ昔流行ったんやが、その理由は結局、人に頼むと高いもんにつく、ちうことを経験的に知っとるからや。わいも北米に住むようになってからできる限りのことはオノレでやるんや。ほんで、到底オノレで治せへんもん、電気製品やらなんやらは壊れたらポイするんがいっちゃん経済的であることを知っとりまんねん。

余計なお世話やけどヘアドライヤーは確実に2年にいっぺん壊れはります。DVDプレーヤーはこの5年で3台買い換えたんや。余計なお世話やけどやまとの某大手ブランドや。せやけどダンさんヘアドライヤーは一つ2000円足らずやし、DVDプレーヤーも一台4000円ぐらいやから修理に出す意味があらへんこともお分かりくれはる思うで。また、壊れても惜しない価格ちう意味もおますが逆説的には高いもんをこーても壊れたとき、修理代のほうが高くつくともいえるちうワケや。

バンクーバー市は道路舗装を含む一般的な土木工事は市の土木部が直営で工事をしまっせ。が、連中の賃金は高く、作業効率は実に悪いのや。よりどエライ昔、ある業務の関係で補修工事をやんのに市役所と相談したトコ、オノレ達でやってあげられはるけど高いさかい民間の業者をつこうたほうがええと囁かれて思わず納得してしもてたんや。

高騰する人件費がどエライ目に付くようになったんですわ。ちうより、もんの値段や原材料費は下がっとるんに人件費だけは下がることを知らんのでコストのうち人件費が占める割合が高くなってきたといったほうが正しいんでしょうか?

世界のあちらウチの国や都市の財政が悪化してるんや。理由はさまざまや思うんやが、本質的には人件費の負担が減らへん理由であることに疑いおまへん。特に賃金や社会保障費、更には失業保険や年金やらなんやら人に絡むコストには割引がないったらご理解くれはるかもしれしまへん。

こらやまとの財政でもギリシャの財政でも同じですわや。

興味深いことにモノの値段は確実に下がっとりまんねん。が、やまと以外ではインフレが継続してるんや。そらどこぞに無駄なコストがかかっとるはずやけど、そやけどアンタそら人件費とちゃうか、と疑っとりまんねん。先日のトピやき家は危険を承知で一人勤務させるんはどうかと書かせていただきましたのやが、一方でカナダではホンマにそないにようけ人は必要なんか、せやなかったらそないに払わのうてはいけへんんか、と疑ってまうことがしばしばおます。

欧米では職責はきっちり決まっとるので与えられはった作業しかぜぇぇぇったいにせん、ちう融通の効かいなさが人件費をいやおうなく増やす結果になっとる思うで。こう見るとやまとも欧米も行きすぎのきらいがあってちょうど中間ぐらいが正しい人件費ちうことかもしれしまへんや。

ご意見、ご感想、お待ちしとりまんねん。

ブログの応援もお願いできまっしゃろか?クリックをするとブログランクアップに繋がるんや。
人気ブログランキングへ

ではまた明日。

やまと人としての誇り4

わいが異国に20年も住んでいながらもやまと人に誇りを持ち続ける理由は何でっしゃろか?

わいは縁があってカナダで仕事をしてるんやが、カナダのパスポートを取得したい思ったことはまだいっぺんもおまへん。仮にやまとが二重国籍を認めたとしたかてカナダのパスポートにそこまで魅力を感じるかどうか分からしまへん。

カナダは先進国では最も裕福な国の一つといわれとりまんねん。世界第二の国土の広さに人口は関東の総人口より2割ねきちびっとの3400万人ちーとばかし。地下を掘れば石油や資源が出てくる裕福さや。相続税はなく、人口を増やす為富裕層の移民を積極的に受けいれとりまんねん。隣にはアメリカちう大消費国を抱えとりまんねん。

結果が物語るとおりカナダ国の政策と運営は極めてまっとうや思うで。そやけど、やまと人であるわいにとってこの国の生活で満足できるのやろうかと考えると自信がおまへん。そら将来この国の若者がきちんと育ち、社会を担うんかちう社会道徳への不安から来よる気持ちが一つあんねんろう思うで。

社会学でロシアと東南アジア、どちらの人がよう働くか、ちうテーマがあったことを前に書いた思うで。答えはロシアや。なんでやったら、働かな凍えて死んでまうからや。東南アジアは毛布がんでも寒ないし、木を揺らしたら果物が取れるちうワケや。カナダはそないな意味で東南アジア化してきとりまんねん。

掘れば資源。親の財産は子の財産。エントリージョブはアジアからの移民の仕事でカナダ人は気に入った仕事があらへんから失業中、といったイメージがどないしたかて見えてしまいまんねん。中華系の移民のボウズ達は親が必要以上に金持ちのトコロがようけ、学校を卒業したばっかりの若者がベンツやポルシェを乗り回してんを見てこの国で汗をかく人はいるのやろうか、思ってしまいまんねん。

その点、やまとの平等主義はある意味徹底してて「親の財産は親の財産」、ボウズには引きがせにくくするっちうことでやまと人に平等な勤労意欲を盛り立てんねん結果に繋がっとりまんねん。それこそ、天照大神が天から降りてきたら地上の神々が見皆働いとった、ちう神話を借りるんやったら、やまとは「お坊ちゃま」や「お嬢様」を作りにくくして汗をかくことを当たり前としてておるトコにやまとの素晴らしさがあるともいえるんとちゃうでっしゃろか?

経済学的には親の財産を子に継がせやすくしたほうが消費が伸びるので景気はようなりやすいとは思とるんですが、精神論的には「同じ釜の飯を食う平等さ」がやまと独特の「気持ちの共有」の原点かもしれしまへん。

今回の震災後、新幹線が僅か50日で復旧した話は耐震補強しとったちうこともおますが、ようけの鉄道マンや建設マンが昼夜を問わへんし、必死になって直し続けたから出来よったやまとやったらではの技や。そこには「思いを一つにする」ちうやまと人の美徳がおました。北米で突貫工事はあんまりおまへん。そら労働者がその意義を感じておらへんことがいっちゃん大きい思うで。朝7時から午後3時まで現場に行き、ほんで賃金ちうにんじんをぶら下げられて作業をする労働契約からええもんをはよ、正確に作るゆうマインドは生まれにくいのや。実際、わいはウチの建築物の保証や修理でどエライ苦労をしましたわ。

やまと人は仕事に対して感謝の気持ちを持ってあたるんや。「仕事をさせてもらい有難うわ」と心のどこぞで思とります。こら神道そのもんなんやし、わいはこの気持ちを持っとるやまと人であることに誇りを持っとりまんねん。

震災の復旧を通じてさまざまなドラマが聞こえてきまんねん。こらやまとやったらではのすばらしいストーリーや。震災そのもんは言葉にでけへんほどの衝撃でおましたが、そこから立ち上がるやまとの姿は他の国の人には真似でけへん強さの証やとつよ感じとりまんねん。やまと人は世界に誇れる民族や。胸を張って新しいやまとに向かってまい進できると確信しとりまんねん。

ご意見おましたらよろしゅうお願いしまっせ。

ブログの応援もよろしゅうお願いしまっせ。クリックをしてもらうとブログランクアップに繋がるんや。
人気ブログランキングへ

ではまた明日。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
Archives
記事検索
Recent Comments
  • ライブドアブログ